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朱液と筆

武田信義館跡

今を去る八百余年の昔、源信義がここに居館を構えて武田太郎と号し、甲斐源氏一族を率いて強大な武力を誇った。治承四(1180)年高倉宮似仁王の令旨を奉じて平家討滅の兵を起こし。信濃・駿河に転戦して武功をたて、駿河守護に補せられたが、やがて源頼朝の忌むところとなって退けられ、文治二(1186)年失意のうちに世を去った。享年59


墓は鳳凰山願成寺にある。信義の館跡は武田区の東端を占め、およそ250m平方の地で、今は民家・耕地が入り混じっているが、当時を偲ぶに足る土塁の一部は現存し、お屋敷、お庭、お旗部屋・み酒部屋・的場・お堀・金精水・具足沢などの地名を伝えている。


(看板資料より)


住所:山梨県韮崎市神山町556-2


武田信義公館跡


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